こぎん刺しについて少しお話してみたいと思います。
私が初めてこぎん刺しを経験したのは、小学生の時の手芸クラブでした。週に一度、放課後に活動するだけのものでしたが。
初めて刺したこぎんは、赤い布に黒い糸の「豆っこ」でした。小さな模様をひたすら刺した記憶があります。
手芸クラブにいたのは、1年間だけで、それから長い間、こぎん刺しをすることがありませんでしたが。。
再びこぎん刺しを始めたときに知ったのですが、津軽こぎん刺しの模様は奇数で出来ています。
1目、3目、5目、、19段、27段、33段といった感じに。
これを崩してしまうと、津軽こぎん刺しの定義から外れてしまうそうです。。
いつも大体、作品を作る前にまず、模様の図案を紙に書いています。
組み合わせたい模様があっても、模様の大きさがそれぞれあるので、何目あけて刺す等といった計算をしないと模様がずれてしまうのです。
昔は方眼紙のような紙は身近になかったと思いますので、当時の女性達がどのように模様を考え、刺していったのかと思いをめぐらせると、とても気の遠くなるような根気のいる仕事ではなかったかと思います。
農作業ができない冬の間、こつこつと刺している姿が目に浮かんできます。。
最近、耳にした話で、素敵なお話があります。
こぎん刺しを長年続けていらっしゃる方がおっしゃったそうで、、「こぎん刺しの作品に時間を織り込んでるのよ」と。
私の作品は小物が多いですけど、それでもそれなりに制作に時間がかかります。(私の作業が遅いということもあるかもしれないですけど。。)
やはり、一針一針刺していきますし、ひと目間違えても模様がくずれてしまいます。
ましてや、長年やられてる方や大きな作品を作っている方だと、本当にたくさんの時間を費やしてこられたのだろうなと思います。
大げさかもしれないですが、作品そのものが人生なのかなと、そのお話を聞いて感じました。
こぎん刺しは大量生産できない物だからこそ、優れた芸術性と温かみを育んできたのではないかと自分なりに考えてみました。。
私が高校生の頃なので、もう20年近く前のことですが、(年齢がばれてしまう。。)
高校の課外授業で、前田セツさんの工房に行ったことがあります。
前田セツさんは青森のこぎん刺しの先生で、数年前に亡くなられましたが。
そのセツさんが、当時高校生の私たちにお話をして下さいました。
うろ覚えで申し訳ないですが、、
「こぎん刺しは青森で生まれた、とても素晴らしい伝統工芸であり芸術であるので、ぜひ若いみなさんにやっていただいて、伝えていってもらいたい。」
と詳細な部分は大分忘れてしまいましたが(ごめんなさい)、要約すると大体このようなことをおっしゃってました。。
それと、こぎん刺しという文化が育まれたことに誇りを持ってほしいとも。
もっときちんと工房に展示された作品を見ておけば良かったと今頃になって思います。
これからもこつこつと少しずつですが、精進していけたらと改めて思いました。
*追記(12/16) 、、あとは楽しむこと。こぎん刺しを楽しんでやることが、長く続けられるコツかなと思います。そして日々の生活を楽しむこと。
この日々の暮らしが人生なんですよね、、大事にしなくちゃ。